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福岡地方裁判所 昭和28年(ヨ)315号 判決 1953年8月05日

申請人 和田久雄 外七名

被申請人 日鉄鉱業株式会社

主文

被申請人が昭和二十八年七月三日附でした申請人溝部に対する出勤停止、その余の申請人等に対する解雇の意思表示の効力をいずれも停止する。

申請人等のその余の申請をいずれも却下する。

申請費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

申請人等代理人は「被申請人が昭和二十八年六月二十七日附でした申請人等に対する出勤停止の意思表示および同年七月三日附でした申請人溝部に対する出勤停止、その余の申請人等に対する解雇の意思表示の効力を停止する」との判決を求め、その申請の理由として次の通り述べた。

(一)  被申請人会社は石炭の採掘および販売を業とし、被申請人会社二瀬鉱業所は之に所属して中央・潤野・高雄二鉱・高雄一鉱・稲築の五鉱を管理するもので、申請人等はいずれも潤野鉱所属の被申請人会社従業員であり、日鉄二瀬労働組合潤野支部(以下単に潤野支部と略称する)所属の組合員である。なお申請人和田は潤野支部の執行委員であり組合専従役員、同和田は同支部委員、同神崎は執行委員であり日給夫の賃金専門委員、同溝部はもと工作職場懇談会々長、同井上はもと同文部委員、同伊藤は執行委員、同亀井は同支部委員、同小野は会計監査役員である。(二) 潤野支部は昭和二十八年五月十三日以降二瀬鉱業所潤野鉱と争議状態にあつて前後八回に亘つて団体交渉を行い、同年六月九日からは組合と二瀬鉱業所との間に団体交渉が行われていたところ、(三) 被申請人会社は同月二十七日突如申請人和田に対しては事業場立入禁止、その余の申請人等に対しては出勤停止の通知をなし、つづいて同年七月三日申請人溝部に対しては十日間の出勤停止・その余の申請人等に対しては懲戒解雇の通知をした。(四) しかしながらこれ等の処分は被申請人会社の鉱員就業規則(以下単に就業規則と略称する)および同規則に基いて定められた鉱員賞罰委員会規則(以下単に賞罰委員会規則と略称する)に違反してなされたものであるから無効である。

というのは、右各規則によれば、懲戒処分は二瀬鉱業所長が鉱員賞罰委員会(以下単に賞罰委員会と略称する)に諮つて行うことになつており、その委員会は労使双方同数の委員によつて構成され、委員全員の出席によつて初めて成立するもので、この委員会が合議によつて審議・裁定したところに基いて所長が懲戒処分を行うこととなつているのである。にも拘らず、申請人等に対する六月二十七日附の前記出勤停止等の処分は何等処分権限のない潤野鉱長八久保初次郎がなしたものであり、また六月二十七日附および七月三日附の各処分はいずれも賞罰委員会に諮ることなくしてなされたものであるから、その効力を生ずるに由ないものである。仮に六月二十七日附の処分が懲戒処分でなく就業規則第三十三条による就業禁示の措置であるとすれば、それは明かに同条所定事項の範囲を逸脱したもので、従つて同条の濫用として無効のものといわなければならない。申請人等は目下右各処分の無効確認等請求の訴を提起しようとして準備中であるが、その訴訟の確定するまでにはなお多大の時間を要するものと予想され、この間申請人等の生活に著しい困窮を来すことは必定で、事態緊急を要するので本申請に及んだものである。

(疎明省略)

被申請人代理人は申請人等の申請を却下するとの判決を求め、答弁として、申請人等主張の事実中(一)の事実・(二)の事実中昭和二十八年六月九日から団体交渉の行われたこと・(三)の事実(但し突如とある点を除く)はいずれもこれを認めるがその余の事実は否認すると述べ、なお次の通り述べた。

申請人和田は坑内機械夫機械工で組合専従者・同神崎は坑内電気夫・同伊藤および亀井は坑内機械夫捲運転工・その余の申請人等はいずれも坑内機械夫機械工であるが、同年五月十二日頃から六月八日まで共謀又は単独で非常災害作業・休日作業・代務業務等を拒否し、職場放棄の挙に出て会社の業務命令に従わず、同僚鉱員に対しては威力を用いてその業務を拒否させ又はこれに対して集団欠勤を慫慂する等業務妨害行為を行つたので被申請人会社は止むをえず申請人等を賞罰委員会に付議することとなり、同月九日潤野支部賞罰委員長から緊急賞罰委員会が招集されたけれども組合側賞罰委員は理由を告げないで欠席し潤野支部長から労使間紛争中のため冷静な判断ができかねるという理由で賞罰委員会の開催に応ぜられないとの回答があつたので、同委員長は直ちに組合の回答は理由がないから中央賞罰委員会に提訴すると通告した。而して組合は同日潤野支部所属日給夫関係の部分的ストライキに突入し、同月十三日更に十五日一番方から同支部所属直接夫も無期限ストライキに突入すると通告してきたけれども、同月十四日潤野支部蹶起大会において同支部所属組合員多数の反対に遭つたため日給夫関係のストライキは中止し直接夫関係のストライキは延期され、潤野支部役員は引責辞職した。そこで同月十八日潤野部賞罰委員長は申請人等に対する懲戒の件を中央賞罰委員会に廻付したが、組合側から団体交渉によつて解雇したいとの申込があつたので、一先ずその要求を容れて交渉を始めたところ、交渉第三、四日には組合側は出席せず徒らに日時を遷延する虞があつたので、止むなく同月二十二日中央賞罰委員長は翌二十三日に中央賞罰委員会を開催するとの通知を発した。これに対し組合長は同月二十四日所長および同委員長宛にその延期を求めてきたが、所長からその理由のないことを回答すると共に同日更に同委員長から同委員会開催の通知をしたところ、同日も組合側賞罰委員は遂に出席しないので、職場の秩序維持のため更に同月二十六日職場秩序違反者(即ち懲戒事由該当者)として申請人等の氏名を明示した上翌二十七日に同委員会を開催するとの通知をなしたが、前回同様組合側委員は出席しなかつた。

所長はこうして懲戒事由該当者として申請人等の氏名を明示したために職場において不測の混乱摩擦を生ずる虞れがあると認め、同月二十七日就業規則第三十三条第一号によつて同委員会の裁定に基いて処分を決定するまでの措置として、申請人和田に対しては職場への立入を遠慮されたい旨・その余の申請人等に対しては就業を禁止する旨の通告をした。通告に際しては偶々出勤停止の文言を用いたけれども、それは同条に所謂「就業禁止」の趣旨であつて、懲戒処分としての「出勤停止」ではない。

前述のように同月二十七日にも組合側委員が出席しなかつたので、中央賞罰委員長は更に同月二十九日第四回目の招集通知を発したがまたしても組合側委員の出席がえられなかつた(同月三十日)ので同年七月一日最終的に第五回目の招集通知を発したが、開催当日の同月二日定刻を遥かに過ぎた午後四時三十分となつても遂に組合側委員の出席がえられなかつたため、止むをえず出席した会社側委員だけで審議の結果、申請人溝部については十日間の出勤停止その余の申請人等については懲戒解雇の処分に付するのが当然と決議し即日之を所長に報告し、翌三日所長から賞罰委員会規則第三条第一項第三号に基いて申請人等に対してその主張のような処分の通知がなされたのである。

組合は申請人等の行為が果して賞罰委員会に付議すべき事項にあたるかどうかについて疑念を持つていたようであるけれども、もし組合側委員も同様の見解を有するのであれば、すべからく賞罰委員会に出席の上堂々とその点に関する疑義を述べ、または処分に関する可否について討議を尽すべきであるのに遂に一回の出席もなくして終つたのは、恐らくは賞罰委員会においては自らの主張を通しえないものと予想してこれまで曽てない欠席戦術に出たものとしか考えられない。

元来経営権・人事権は会社に属するもので、賞罰については鉱員にとつて一身上の重大問題であるから慎重審議を尽すべきものと考えて就業規則等に詳細な手続規定を設けたものであるけれども、これに基く賞罰委員会はあくまで所長の諮問機関であつて賞罰の権限は所長に専属し、賞罰委員会が不当な結論を出した場合所長は之に拘束されたものではない。このことはまた賞罰委員会規則第三条第一項第三号の規定に徴しても明白である。本件においては中央賞罰委員長の委員会招集は前後五回に及び、元来所長の諮問機関に過ぎない同委員会としては万全の措置を尽したものという外なく、仮に中央賞罰委員会が賞罰委員会規則上有効に成立しなかつたとすれば、本件のような事案こそまさに右条項に所謂「中央賞罰委員会の裁定が得られない場合」にあたるものというべきもので、従つて所長が申請人等に対してした本件懲戒処分には何ら違法の廉はないといわなければならない。仮に然らずとして、組合側委員が出席しないため何度賞罰委員会を招集しても審議に入ることができず、そのため解雇もできないとすれば、その結果は不当に従業員を保護することとなり、経営者の経営権・人事権を不当に侵害することとなるのであつて、その不合理なことは多言を要しない。

因みに賞罰委員会規則第三条第一項第三号は昭和二十三年九月従前の賞罰委員会規則に捜入されたもので、これはもと就業規則第九十五条に「懲戒処分は所長が賞罰委員会に諮つて行う。但し懲戒解雇はこの限りでない。」とあつたのを、組合からの申込によつて解雇についても一応賞罰委員会に諮つて行うよう譲歩した結果、その趣旨を明らかにするため右但書を削除すると同時に新に賞罰委員会規則第三条に捜入されたものである。

以上の通り被申請人の措置には何ら違法の廉はないから申請人等の本件仮処分の申請は失当として却下されるべきものである。

(疎明省略)

理由

申請人等がいずれも被申請人会社二瀬鉱業所潤野鉱所属の従業員であつたこと、被申請人会社が申請人等に対して昭和二十八年六月二十七日附で出勤停止又は事業場立入禁止を通知し同年七月三日附で懲戒解雇又は出勤停止を通知したこと、は当事者間に争がない。

申請人等は六月二十七日附の右通知をもつてなされた意思表示は懲戒処分としての「出勤停止」であると主張するのに対して、被申請人は右通知は就業規則第三十三条に基く措置としてなされた「就業禁止」であると抗争するのでこの点について検討してみると次の通りである。

先づ申請人和田を除くその余の申請人等についていえば、成立に争のない疎甲第一号証の二乃至八(以下争のないものについては特に成立の点にふれない)の「記」には「一、昭和二十八年六月二十七日より……………出勤を停止する。二、右出勤停止期間中の賃金は規則の定めるところによる。」とあつて、一見右に所謂「出勤………停止」とは懲戒処分としての「出勤停止」であり、右に所謂「規則の定めるところによる」とは就業規則の定めるところによるの謂であるかのように見えないではないけれども、これには「…………貴殿の処分決定の日まで…………」明記されていて、この「出勤………停止」が(懲戒)処分以外のものであることは文面自体からして明かであり、また就業規則第九十六条第三号によれば懲戒処分としての「出勤停止」期間中は賃金手当その他あらゆる給与が停止されることが明記されていて(疎乙第七号証)懲戒処分としての「出勤停止」の通知ならば特にこの点にふれる必要がないと考えられる上証人安永健二の証言によれば被申請人会社としては「賃金規則の定めるところによる」との趣旨で右の「…………規則の定めるところによる」との文言を記載したことが一応認められ、右に疎明された被申請人会社当局者の意思とその表現との間に何ら矛盾も存しないから、申請人和田を除くその余の申請人等に対する六月二十七日附の右通知によつてなされた意思表示は懲戒処分としての「出勤停止」ではないといわなければならない。

次に申請人和田についていえば、疎甲第一号の一の「記」には「一、昭和二十八年六月二十七日より貴殿処分決定の日迄当会社事業場その他事業用施設内への立入は遠慮されたい。」とあつて、「立入を遠慮されたい。」のは同人に対する「処分決定の日迄」であることが明記されており、従つてこの立入禁止が同人に対する(懲戒)処分以外のものであることは文面自体からして明らかであるといわねばならず、疎甲第一号証の二乃至八と異つて賃金についての記載がないのは単に同人が組合専従者である(このことは当事者間に争いがない)関係によるものと考えられるから、申請人和田に対する六月二十七日附の右通知によつてなされた意思表示は懲戒処分としての「出勤停止」ではないものといわなければならない。

而して申請人等は、六月二十七日附の右通知が就業規則第三十三条第一号による措置としての「就業禁止」であるとすればそれは明かに同条の濫用である、と抗争するのでこの点について考察すると、同条は「着到・欠勤・遅刻・早退及外出」等に関する条項を收めた就業規則第二章第三節中の一箇条で、その内容自体からして具体的な現実の作業についての規律および安全のための規定であることが明らかであり、しかも「就業禁止」が「退場」と並列的に規定されていることを併せ考えると、同条に所謂「就業禁止」は具体的な現実の作業に着手する直前における応急的措置に外ならないといわなければならない。仮に然らずとすれば、懲戒処分としての「出勤停止」は詳細な手続規定に基いて賞罰委員会の審議を経た上で十日以内に限つてなされるものであるのに対し、この規定による「就業禁止」は被措置者のための保護的規定の拘束を受けることなく、しかも期間の制限も受けないこととなり、その結果被申請人会社は同条による「就業禁止」の措置をとることによつて、手続的に何らの制限を受けることなくしかも懲戒処分としての「出勤停止」以上の効果を挙げることができるのであつて、その不合理は殆ど多言を要しないところであろう。

してみれば結局、被申請人が六月二十七日附の右通知によつてなした被申請人等に対する措置は、就業規則第三十三条所定の範囲を逸脱して同条によることができない場合に同条によつてなされたものとして、明らかに鉱員に対する懲戒について詳細な手続を定めた就業規則第九十五条および賞罰委員会規則の基本的な精神に反するものといわなければならない。

そこでこの規則違反の措置の効力について判断するに先立つて、先ず就業規則一般についてその性質を考察してみると、一般に就業規則は使用者が一方的に制定するもので労使双方の合意に基くものではなく、この点で労働協約および労働契約と異るけれどもそれが一旦定立された以上労使双方いずれも之を遵守し誠実に各々の義務を履行すべきものであつて、この点では労働協約および労働契約と異るところはなく(労働基準法第二条第二項)、従つて就業規則が使用者によつて一方的に制定されるものであるという一事を以て直ちにその労使双方に対する法的拘束力を否定することは誤りであるといわなければならず、就業規則が労働協約および労働契約と異るところはただその変更についても原則として(労働基準法第九十三条に該当する場合を除いて)法令および労働協約に反しない限度で使用者の一方的意思でできる点にのみあるというべきであり、就業規則違反の行為はその規定の重要度に従つて無効となると解するのを相当とする。

而して之を本件についてみれば、六月二十七日附の右通知によつてなされた措置が就業規則中懲戒に関する部分および之を受けた賞罰委員会規則の基本的な精神に反すること前述の通りであり、懲戒に関する規定が従業員に対する保護的規定として重大な意義を有することは多言を要しないから、結局六月二十七日附の右通知でなされた措置はいずれもその効力を生ずるに由ないものといわなければならない。

次に七月三日附の前記通知をもつてなされた処分について、申請人等は就業規則および之を受けた賞罰委員会規則等によつて適式に賞罰委員会に諮る手続がとられていないと主張するのに対し、被申請人が之を争うので調べてみると、当事者双方の提出・援用した全疎明資料(疎甲第四号証の八および疎乙第三号証の一の二はいずれも弁論の全趣旨により、疎乙第二号証の七・同第三号証の一・同号証の八・同号証の十一はいずれも証人安永建二の証言により、それぞれ一応真正に成立したものと認められる)によれば、一応次の事実を認めることができる。

潤野鉱では昭和二十八年五月十二日頃から潤野支部所属組合員の中に休日作業や非常災害作業等を拒否する者が出始め、被申請人会社としても次第に職場の秩序維持に多大の支障があると考えるようになつたので、同年六月六日潤野鉱長八久保初次郎から潤野支部長花田寿宛に職場秩序を紊す行為を例示して善処方を要望したのに対して、組合長井上行光が二瀬鉱業所勤労課長安永建二に対して潤野鉱の問題についての団体交渉を申入れたところ拒否されたので井上組合長は同日花田潤野支部長に対して実力行使指令を発し、同支部長は同日午後八時半頃同指令書を安永勤労課長に交付した上、翌九日午前零時二十分頃同日一番方より潤野支部所属の日給夫が部分的ストライキに入ることを被申請人会社に通告した。

この間潤野鉱では同鉱所属従業員間の怠業状態が著しくなり、同月八日には殆ど全員が職場を放棄する状態となつたので、被申請人会社としては早急にこれに対応する措置の必要を認め、同月九日午前六時半から同七時までの間に潤野支部賞罰委員長北島千代吉から同支部組合側賞罰委員(正)三名および補欠委員三名全員に対して、同日午前十時から職場秩序を紊した者の処分に関する件について緊急賞罰委員会を開催するとの招集通知を送達した。しかし当日は恰も同支部所属組合員である日給夫が部分的ストライキに入つた第一日であり、右の通知を受けた同支部賞罰委員(正)三名は偶々闘争委員でもあつたので、直ちに協議した結果、従来懲戒に関する賞罰委員会開催通知には懲戒該当者の氏名と該当事由とが記載されていて予め之に対する調査を行つた上で賞罰委員会に臨んでいたのに、今回の招集通知には氏名および該当事由の記載がなく、従つて予め調査する時間も方法もなく、しかもストライキ中で混乱しているから、当日の賞罰委員会では正確・公平な判断ができかねるという結論に達したので、同日午前十時頃花田同支部長から北島同委員長に対してストライキ中で冷静な判断ができかねるからとの理由を付して当日の賞罰委員会開催には応ぜられないとの回答を発した。そこで北島同委員長は同支部委員間で打合せの結果花田同支部長から一括して回答があつたものと諒解して、更に同日午後折返して花田同支部長宛に出席拒否の理由は諒承できないから同支部の組合側委員があくまで出席を拒否する場合には中央賞罰委員会へ提訴すると通知したところ花田同支部長は組合側委員と連絡の上右の通知書を持参した潤野鉱の労務係員に対して、右の通知に対する回答は午前中に北島同委員長に対してなした回答と同一であると口頭で伝えた。その後両者(北島同委員長と花田支部長又は組合側賞罰委員会と)の間には賞罰委員会開催に関する交渉は文書又は口頭のいずれにおいてもなされなかつた。

ところで同月十三日花田同支部長は争議態勢を更に強化するため同支部所属直接夫に対して同月十五日一番方よりのストライキ突入を指令し、同日(十三日)同支部長から八久保潤野鉱長に対し、また井上組合長から二瀬鉱業所長小倉進に対して右のストライキ突入を予告したが、翌十四日潤野支部総蹶起大会が開かれたところ同支部所属組合員の中にストライキ反対の声が多く、そのため大会直後直ちに本部闘争委員会を開いて戦術を検討した結果ストライキを中止または延期することとなり、同日直ちに井上組合長から花田同支部長宛に十五日一番方からの直接夫のストライキの延期・既にストライキ中の日給夫(間接夫)については十五日一番方からの中止方の指令が発せられ、同日井上組合長から小倉所長宛・花田同支部長から八久保同鉱長宛にストライキの延期および中止が通知された。

この間の経緯を眺めていた北崎同委員長は右の総蹶起大会後潤野支部の組合役員が総辞職したので同支部の組合側賞罰委員も事実上賞罰委員会に臨みえないものと考え、同月十八日事態の処理が徒らに遷延を許さない事情にあるとして賞罰委員会規則第三条第二項前段に基いて中央賞罰委員長宛に申請人等八名に対する懲戒事件の審議方を申請した。

この申請を受けた中央賞罰委員長安永建二は直ちに北島同委員長を招致して事情を聴取した上、(一)同月二十二日中央賞罰委員十二名全員に対し翌二十三日の中央賞罰委員会開催を通知したところ、委員会当日組合側委員六名はいずれも欠席通知をなさずして欠席したが、井上組合長(組合側組員の一人)は二十三日安永勤労課長(中央賞罰委員長と面接した時、中央賞罰委員会開催の件については潤野支部賞罰委員会の審議裁定を経ていないが、これは規則上からも慣行上からもおかしいではないかと申出で(また翌二十四日になつて井上組合長から小倉所長および安永委員長宛に組合側としては協議が出来ていないから当分の間中央賞罰委員会の開催を延期されたいと回答)、(二)同月二十四日安永同委員長から再度の招集通知を発したところ、井上行光(組合長)を除くその余の組合側委員五名等は期日の二十五日に安永勤労課長(中央賞罰委員長)等を訪れて、事件を賞罰委員会にかけないで団体交渉で解決して欲しいと申込んだが安永同課長は五時間余に亘る面談の末之を拒否し、結局同日の中央賞罰委員会は開催されず(二十四日附の招集通知に対しては同月二十七日井上組合長から小倉所長宛に本件に関する団体交渉開催の申入があり、これに対する小倉所長の回答・井上組合長の再申入・小倉所長の再回答がいずれも同日附であつた。)、(三)同月二十六日安永同委員長から三度招集通知を発したが、組合側委員は期日の二十七日に欠席通知をしないで欠席し(安永同委員長は潤野支部所属組合員の多数が賞罰委員会にかかることを懼れて動揺していると聞いて、二十六日附の右招集通知に初めて懲戒該当者として申請人等八名の氏名を掲載した。これに関して小倉所長が翌二十七日附で出勤停止等の措置をとつたことは前述の通りである。)、(四)同月二十九日安永同委員長から組合側委員の態度を遺憾としながら第四回の招集通知が発せられたが、期日の三十日には組合側委員の一人である井上行光から先ず団体交渉を開いて双方で問題の本質に分析・検討を加えた上で賞罰委員会を開くべきだとの回答があつたのみで、他の組合側委員五名からは欠席通告もなくして、組合側委員六名全員欠席し、(翌七月一日附で他の委員から略同趣旨の回答があつた)、(五)同年七月一日安永同委員長から、従前四回に亘る招集にも拘らず中央賞罰委員会が開催不能となつたについては組合側委員は自ら与えられた権利を放棄したものと解せざるをえないが尚一回最終的に招集するから之に応ぜられない時は止むなく賞罰委員会規則第三条第四項によつて処理するとして第五回の招集通告が発せられたけれども、組合側委員はいずれも欠席通告をしないで欠席したので、期日の同月二日午後四時半頃安永同委員長および被申請人会社側委員のみ出席して申請人等八名に対する懲戒事件について協議し、その結果申請人溝部を十日間の出勤停止・その余の申請人等を懲戒解雇処分に付するのを相当であると結論してこれを小倉所長に上申し翌三日小倉所長は右上申通りの処分をなすに至つたものである。以上疎明された事実に基いて、被申請人会社が七月三日附でなした懲戒処分に申請人等の主張するような違法の廉があつたかどうかについて検討すると、次の通りである。

前述の通り六月九日附の潤野支部賞罰委員会の招集通告は開催当日(九日)の早朝開催時刻の約三時間前に通告されたものであるが、賞罰委員会運営準則(疎乙第九号証)第三条によれば「緊急已むをえない場合の外尠くとも前日迄に賞罰事項及び日時を委員に通告…………」と規定されているところ、前述の通り潤野鉱では五月十二日頃から怠業状態があつて六月八日には殆ど全員の職場放棄が行われているので、この点から見ると一見事態緊急を要したものと解せられないでもないけれども、その後中央賞罰委員会の審議を申請したのが招集当日から九日を経た同月十八日であることを考えれば、右賞罰委員会の招集が開催時刻の約三時間前に通告されたのも已むをえなかつたとするに足る程の緊急の必要があつたとは到底認められないから、右賞罰委員会の招集は同準則第三条に違反するものといわなければならない。

これに対して組合側委員が何れも同準則第五条所定の欠席通告をしないで花田潤野支部長から当日の賞罰委員会開催には応ぜられないと回答させたことは必ずしも当をえたものとはいえないけれども、北島同委員長は殆ど当然に之を組合側委員の協議の結果と判断しうる事情にあり且つ現実にしかく判断しえたものである上に、招集手続自体に右のような準則違反があるのであるから、右の組合側委員各自から欠席通知がなされなかつたことを捉えて特にこの点に大きな瑕疵があつたということはできない。

而して北島同委員長によつて招集された潤野支部賞罰委員会は同支部所属の日給夫が部分的ストライキに突入したその当日(ストライキ第一日)ストライキに先行した怠業状態における職場秩序違反に対する懲戒処分を審議しようというのであるから、組合側委員として(支部長名義ではあつたが)「労使間紛争中なるため冷静な判断が出来兼ねると思います」から「本日の賞罰委員会開催には応じられません」としたのは誠に已むをえないことであつたといわなければならない。而してこれに対する北島同委員長の回答に対して花田同支部長は同支部組合側委員と連絡の上、これに対する回答は午前中の北島同委員長宛回答と同様であると伝えたのであるから、結局同委員長の招集した同支部賞罰委員会に組合側委員が出席しなかつたことについて、組合側委員には何ら責められるべき廉はないといわなければならない。

従つてその後同委員長が同支部賞罰委員会の開催について何等の手続をとることなく、同月十八日直ちに賞罰委員会規則第三条第二項前段にあたるとして中央賞罰委員会へ審議方を申請したのは、同規則違反の譏を免れず、従つてその後行われた中央賞罰委員会の招集は同規則上中央賞罰委員会で審議すべき場合に該らないのにその審議のために招集されたものという外はない。(賞罰委員会運営準則第二条第三号には単に「…………支部委員会より審議を申請されたとき」とあつて一見申請事由の如何を問わないように見えるけれども、支部賞罰委員会から中央賞罰委員会へ審議を申請するのは支部賞罰委会の審議がまとまらない場合に限ること、賞罰委員会規則第三条第二項前段に明定するところである。)

この点に関する違反をしばらく措くとすれば、中央賞罰委員会開催のため安永同委員長のとつた措置は一応万全の配慮を尽したものということができ、これに対して組合側の委員がいずれも六月三十日(井上)および七月一日(その他の五名)に至つて初めて第四回招集通知に対する回答をしただけで、その他の招集通知に対しては何の理由も告げないで欠席し、また組合側委員の意向を代表したものと推認される井上組合長の安永同委員長および小倉所長宛の第一回招集通知に対する延期方の申入も開催期日後に初めてなされていることは、組合側が本件の解決は賞罰委員会によつてではなく団体交渉によつて解決されるべきであるとの自らの見解を強調するあまり安永同委員長の誠意ある態度に対して組合側としても示すべき信義を十分尽さなかつたものといわなければならず、この点において組合側も亦相応の非難を免れないけれども、既に潤野支部賞罰委員会から中央賞罰委員会への審議の申請およびこれに基く中央賞罰委員会の招集自体に賞罰委員会制度の基本的構造を紊す重大な瑕疵があり、この点について懲戒処分を受けた申請人等が之を宥恕した形跡がないのみならず、却て井上組合長からこの点について安永中央賞罰委員長へ異議を申立た事態が疎明される以上申請人等に対する七月三日附の懲戒処分はいずれも適式に賞罰委員会に諮ることなくして行われたものという外なく、従つて就業規則第九十五条に違反する重大な瑕疵あるものといわなければならない。

而して就業規則中懲戒処分に関する規定についての重大な違反が懲戒処分の無効を来すべきことは前述の通りであるから、申請人等に対する七月三日附の処分も亦結局無効のものという外はない。(附言するに、賞罰委員会は本来懲戒処分の権限を有する二瀬鉱業所長の諮問機関に過ぎず、従つて賞罰委員会制度は被用者のために与えられたいわば恩恵的な制度に外ならない――そのために一旦定立された規則の定め等が当事者双方に対して法的拘束力を有することは別――から、被用者の利益を代表する組合から選出された委員が理由なく賞罰委員会に出席しない時は、当然自らに与えられた権利を放棄したものとして取扱うべきであり従つてこの場合には賞罰委員会規則第十条の規定に拘らず賞罰委員会は有効に成立し、出席委員の議決は賞罰委員会の議決として効力を有することは当然で、この法理は賞罰委員会規則第三条第四項――被申請人が第三条第一項第三号と主張するのは誤り――を俟つまでもなく明らかである。仮に然らずとすれば、組合はその所属組合員に対する懲戒処分を免れようとすれば、賞罰委員会に組合側委員を出席させないという事によつて最終的にその目的を達しうることとなるのであつて、その不合理なことは既に多言を要しないであろう。)

そこで以下申請人等の主張する仮処分の必要性の有無について判断することとする。

六月二十七日附の前記「出勤……停止」等の通知は「…………貴殿に対する処分決定の日まで………」とあることからみて明かに期限附の意思表示であり、又その趣旨は客観的に処分決定と目すべきものの成立するに至る日まで(従つてその最終的な有効無効を問わない)というにあると解されるのであるが、その後七月三日附でその処分決定が申請人等に通知されたのであるから、その通知と同時に六月二十七日附「出勤……停止」等の意思表示は当然にその効力を失つたものといわなければならない。然しながら申請人等の求める仮処分の趣旨は結局六月二十七日附「………停止」等の措置――従つて之に因る不利益――を受けなかつた者としての地位を仮に定めることを求めるというにあると解されるので、この点につき検討してみると、申請人等が「出勤……停止」等の措置を受けたことに因つて蒙つた不利益は、疎明によれば主として出勤できないことによつて受けた精神的な打撃・加配米の支給を受けられなかつたことおよび支給された平均賃金以上の收益を得られなかつたこと(申請人和田については事業場に立入りできなかつたため組合活動を妨げられたこと)であつて、前二者および申請人和田の右の関係については仮処分によつて救済されうべき限りでなく、後者については平均賃金の支給を受けながら尚お申請人等の主張するような仮処分の必要があるとするには疎明が十分でないから、結局六月二十七日附の右意思表示の効力の停止を求める点においては、本件仮処分の申請は理由のないものといわなければならない。

次に七月三日附「懲戒解雇」等の意思表示の効力の停止を求める部分についてその必要性を考えてみると、申請人和田を除く、その余の申請人等が被申請人会社二瀬鉱業所潤野鉱を唯一の職場として、被申請人会社から取得する賃金によつてその生計を維持していたことは疎明(特に前掲疎乙第三号証の十一)によつて一応認められるところであり、また申請人和田については同人が被申請人会社の従業員たる地位を失えば組合専従者としての活動を著しく妨げられることは弁論の全趣旨によつて一応認められるところであつて、七月三日附の右懲戒解雇等の意思表示が前述のように無効であるにも拘らず申請人等が被申請人会社から解雇処分又は十日間の出勤停止処分(その間賃金の支給が停止されることは就業規則第九十六条第三号によつて明らかである。)を受けたものとして取扱われることは当然容易に回復できない損害を蒙ることとなると考えられるから、申請人溝部については十日間の出勤停止・その余の申請人については懲戒解雇処分の意思表示の効力を停止する限度において仮処分の必要あるといわなければならない。

そこで申請人等の本件申請は右の限度において理由のあるものとしてこれを認容し、その余は却下すべきものとし申請費用の負担については民事訴訟法第九十五条、第九十二条但書を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 高次三吉 川渕幸雄 可部恒雄)

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